若き姿 薫

若き姿 薫

「ニイタカヤマノボレ」 これは、1941年(昭和16年)12月8日、 日米開戦、真珠湾攻撃における山本五十六連合艦隊司令長官の出撃命令である。 ニイタカヤマとは台湾の「新高山」(現在の玉山)のことであり、 標高3,950mは富士山より高い日本一の山であった。戦火ひろがる1943年(昭和18年)10月、冷雨の中、 神宮外苑国立陸上競技場(現在の国立競技場)で学徒出陣の行進が行われた。 この中には、日本人学生と同じく朝鮮人の学生達も参加していた。 そして彼らは、神軍の軍服をまとい、戦地へ向かったのである。「若き姿」とは、学徒徴兵の準備にあたり、各地でニュース映画とともに上映された映画のタイトルである。戦局悪化の1945年(昭和20年)、特別攻撃隊が編成され、 関大尉率いる敷島隊から最初の特攻作戦がはじまった。「薫」とは、台湾、高砂族の薫空挺隊のことである。 彼らは先祖伝来の蕃刀を身に付け、ジャングルへ消えていったのである。戦場で共に戦い燃え尽きた若き兵士達一人一人の記憶の物語の中には、 死の物語と血の物語が混在する。

2000~ 40.9×31.8cm 木枠・麻布・膠・銀絵具  各250枚組

2000~
40.9×31.8cm
木枠・麻布・膠・銀絵具
各250枚組

2000~ 40.9×31.8cm 木枠・麻布・膠・銀絵具  各250枚組

2000~
40.9×31.8cm
木枠・麻布・膠・銀絵具
各250枚組